記事: メディア次長課長・河本準一が語る「芸人が本気で農業に挑むワケ」とは? 病気がきっかけで感じた“食と命”の大切さ|米づくりで地元・岡山県津山市に貢献
メディア次長課長・河本準一が語る「芸人が本気で農業に挑むワケ」とは? 病気がきっかけで感じた“食と命”の大切さ|米づくりで地元・岡山県津山市に貢献
お笑い芸人である河本準一がなぜ農業に携わることになったのか?
未来日記が描けなくなってきた
農業を始めたのは、すい臓の病気(急性すい炎)を再発したことがきっかけですね。40歳のときなんで、今から9年前なんですけど、そのとき、医者からは「命に直結するような具合ですよ」って言われて。その頃からだんだん、未来日記が描けなくなってきたというか……。「50歳になったらこれをして、60歳になったらセカンドライフでこんなこともしてみたいな」とか、そんな悠長なことは言ってられないなというか。自分で蒔いてしまった種なんですけど、病気がちょっと厄介だったこともあって、やれることは、思いついたことはやっていかなきゃいけないなって考えたのが最初のきっかけでした。
で、やってないことで自分の人生のページが上塗りできたらいいな、アップデートもできたらいいなって考えたときに、ふと地元のことが頭に浮かんで……。
これだけ田舎で育った……といっても、津山にいたのは3年ぐらいなんですけど、これだけ田舎なのに、まわりに農家がいなかったんです。そのあと岡山市に引っ越したんですけど、そこにもいなかった。
病気のとき、最初に食べさせてもらったのが米だったこともあって、「米ってやっぱり大事なんや」って再認識したんです。それが大きかったですね。これまであたりまえに食べていた米に興味が湧いてきて、「農業やったらどうなるんやろ?」とか「お米ってどんな感じでできるんやろ」って思うようになって。おいしい米とまずい米があるけど、どうやったらおいしい米ができるの?とか、どこでできるの?とか。
療養中は食べるものが制限されるんですけど、主食のお米だけは制限がなかったんですね。もちろん食べすぎには注意しないといけないですけど。だからお米を大事に食べるようになって。どうせ食べるならおいしいものが食べたくて、「これはうまい」「これは合わんかも」っていろいろ食べ比べるようになったんです。
日本のお米で日本人を笑顔にしたい
大分県での師匠との出逢い
そんなとき、たまたまお米を地元から送ってもらってるという知り合いと話してたら、その人が「スーパーで買うお米の意味がわからん」って言い出して。「いや、逆にスーパー以外のどこで買うん?」って思ったんですけど、その人は実家から送ってもらうのがあたりまえらしくて。で、そのお米を食べさせてもらったら引くぐらいおいしかったんです。それが大分県国東(くにさき)市のお米との出会いでした。
その人から「田舎ではみんな農家さんから買ってる」と聞いて、「よかったらそこの農家さん教えてくれる?」ってお願いしたんです。芸人はみんなを笑顔にする職業だけど、食も人を笑顔にすることができるし、できれば日本人なら日本のお米で笑顔にしたい。そんな思いもあって、「このおいしいお米を自分がなにかしらの形でPRできて、全国においしいお米を届けられたら、農家さんも喜ぶし、米作りを手伝わせてもらえたら俺もウィンウィンだな」と思って、知人伝いでその農家さんにアポをとってもらって、ひとりで現地に行ったんです。
米作りを手伝いたいと思ったのは、ひとつにはこんなにおいしいお米を食べさせてもらったことに対する恩返しの気持ちと、米作りを手伝うことで作る人の苦労を少しでも自分自身で理解したいと思ったから。農家さんにその熱意を伝えたところ、農家さんも生活があるんで、「本当に本気でやるんやったらやらしてやる」って言われて、そこから農業とのかかわりが始まりました。お米作りの知識や技術、ノウハウみたいなものは、今もなお師匠と呼んでいる方にそこでイチから教わりましたね。
芸人としての仕事もあるから、現地に住んで自分でお米を作るのは難しい。自分にできることは、米作りのお手伝いをしつつ、お米をブランディングして全国に知ってもらうというPRのほうだと思ったので、自分が芸人ということも生かしつつ、米作りを学びたいな、と。なので、米作りのほうではメインの工程をやらせてもらいつつ、その間にする作業も教えてもらって……みたいな感じでした。
「想像の17倍ぐらいキツかった」米作りの現場
そんな形で始めた米作りのお手伝いでしたが、実際にやってみると“キツイ”の一言でした。ガチンコで厳しい。想像の17倍ぐらい(笑)厳しく感じるんですよ、何もかもが。なんて言ったらいいのか……、これまで一度も使ったことがない筋肉をこれでもかっていうぐらい使わされた気分というか。それも、“引きちぎられる”っていう表現が正しいくらい。具体的にいうと、ふくらはぎとか、腰の真ん中よりちょっと下の方の背中の筋肉とか、そのあたりが特につらかったですね。
あとやっぱり、プロって、スポーツでもそうなんですけど、ごくごく簡単に見せられるのがプロなんですよね。そのプロセスは一切見せない。でもそれ、本当は血ヘド吐くぐらい練習してたんだなっていうことを想像しつつ、僕はプレーを見てるんですけど、プロはいとも簡単にそれをやってのける。でも、いざ自分がやろうとすると「いや、それができるようになるまでに引くほどあるじゃん、工程!」みたいな。知らんかったわ、って。いつも何も考えずにあたりまえのように米食ってたけど、こんなに大変な思いして作ってるんや……って思って愕然としました。
でも、だからこそよけいにやりたいと思ったんです。お米の大事さとおいしさを伝えたいと思ったし、国東のお米作りの工程や毎日やらなきゃいけない作業内容なんかは、僕がなにかしらで言わない限り、その農家さんは全国に発信することができないので、自分が表に立って代弁者になって、体験したことをそのままダイレクトに伝えたいな、って。
そうやって伝え始めたら、意外とみんなの反応が「農業はやっぱきついから無理やわ」とはあんまりならなくて。「ほんとにすごいね」とか「こんなことするんだ」って興味を持ってくれた人もたくさんいたし、「そんな米ならめっちゃ食べてみたい」という意見もあったので、自分で自信持ってプレゼンができるようになったっていうのはありました。だから、記事になるからといって「農業楽しいですよ。面白いですよ」っていうばかりじゃなく、その大変さについても正直に伝えていきたいと思ってます。
地元に貢献したい気持ちから始めた津山での米作り
地元に貢献したいという気持ち
大分県国東での米作りは今年で6期目を迎えましたが、その後、岡山県の津山でも米作りを始めたのは、地元に貢献したいという気持ちからでした。
国東での米作りを始めて2年目に、自分の地元でも何かできることがないかなと思って、商工会議所のOBをやっている同級生だったり、役所にいる知人と話をしていたら、ちょうどこれから役所を辞めて農業に挑戦する予定だという方を紹介していただいて。それが米井ファームの米井(代表)さんだったんです。
国東もそうなんですけど、 細かい話をしてしまうと、要は流通がないんですよ……。流通先がすごく難しいんですね。なぜかというと、お米って日本全国どこにでもあるから。国東のお米も、ものすごくおいしいのに流通しているのは山口県止まりでしたし、津山のお米ももちろん地元にしか流通してなくて……。
津山は盆地で、朝は寒くて昼は暑いという、地形的にお米がおいしくなる地形だし、一級河川が通っていて水もある、災害も少ないから安定供給ができる。味もひいき目なしでうまいし、いける!と。で、米井さんも若い。大分では年配の方に米作りのノウハウを教えてもらったんですけど、津山では若い人たちとコラボして、津山のおいしいお米を広めていきたい、そうすることで地元に貢献したいという気持ちが強くありました。
今、米井ファームでは「にじのきらめき」と「きぬむすめ」という品種を作ってるんですが、津山の、米井ファームがある地域は太古の昔は海だったんですね。だから土壌は粘土質で粘りが強く、ミネラルが豊富。そこへ、さらにミネラル分を増やすために、牡蠣殻を粉末にして蒔いて、今も米作りを続けています。